◆⑫:取材を終えて◆
メムさんご夫婦に出会って、自分の中に静かで深い衝撃がありました。
それを言葉にしようとずっと考え続けていたら、1ヶ月半ほど、原稿が1文字も
進まなくなってしまいました。自分に何が起こっているのかさえ説明できず、
自分でもなにがなんだか、わからなくなってしまいました。
そんな折にメムさんから連絡をいただき、
『考えすぎるのではなく、感じるままに書けばいいんですよ』と言っていただけ、
その時やっと自分は<感じたことをどう伝えようかと考えすぎていた>のだとわかり、
この取材から何を学んだのだろう、と自分に呆れてしまいました。
それからはふっきれて、稚拙でもいい、未熟でもいい、感じたままに、
と開き直っていくうちに、徐々に筆が進むようになってきました。
函館のあの日を全て伝えきることはできなくても、自分が感じたこころのありようなら、
わずかでも伝えられるかもしれない、と思えたのです。今までの自分のルールを書き換えるような、不思議な心地がしました。
そんな頃に北海道で大きな地震が起こり、自分はいま祈るようにこの文章を書いています。
ここまでこの記事を読んでくださった方の中で、
『もしかしたら自分は自分のことを感じ取れなくなっているかもしれない』と少しでも
感じた方は、どうか10分だけでも、誰からも干渉されないたったひとりの静かな時間を
つくって、自分自身の声を聞いていただけたら、と思います。
そしていつか、この記事の舞台となった美しい函館の街を、
旅行先の候補のひとつにしていただけたら、それに勝る喜びはありません。
自分にできることはささやかですが、
この記事がほんの少しでも誰かの心を暖めることに繋がってくれれば、と祈っています。
「静かな時間」
だあれもいないとき。
私は『私』に戻る。
どこにも属さず、『大人』であることさえも脱ぎ捨てる。
私の中のずっと昔から変わらない部分。
それだけになる。
――今日はね、こんなことをしようと思うんだ。
例えば、キッチンで実験してみようか。
例えば、気の向くまま、心の歌を歌おうか。
それとも、ただただ気ままに寝転がろうか。
私の話に、神様が笑ってカーテンを揺らす。
それは、誰もが持っていた『時間』。

この特集取材は、これでおわりです。長い記事を
さいごまで読んでくださって、本当にありがとうございました。
この特集の、もくじはこちら。
うつサポ。おすすめの記事のご紹介
「マイノリティと非マイノリティが相互理解できるCafe」で食べる、タルトの味は。